2010年11月27日土曜日

アトリエツアーなどもあり、作品についてひとと話す機会がここ最近多いのですが、『モチーフをどういった基準で選んでいるのか。なぜ家やカーテンといったものを描くのか』ということをよく聞かれます。

そういった質問に対しては、表層を表すイメージが素材として使いやすいから。という答えをしているのですが、よくよく考えてみると、表層を描くということはその表層に覆われている内側を作り出すことであり、その内側がとても大事なんですね。

たとえば家を描く。外壁を描いて屋根を描いていくとその内側に空間が生まれる。その空間には家具が置かれ家族が生活をしているかもしれないし、空き家かもしれない。でもその内側を想像させるものをあえて一切描かない。描かないことで鑑賞者のなかでその空間が空虚に、だけど濃厚に広がってゆく。その深さは余白と通じるものがあるかもしれない。

表層に覆われて見えない内側を感じさせるという要素を意識できるようになり、また作品が展開する可能性ができました。

2010年11月2日火曜日

金沢の在住の作家のアトリエを21世紀美術館の館長さんと巡るツアーの第一回目に、山本基さんと私のアトリエを選んでいただきました。

私のアトリエはごく普通の一軒家を自宅と兼ねて使っているので、
参加していただく方がガッカリしないか少々不安ですが、
未発表の新作や描きかけの作品を御見せしながらお話できればと思っています。


金沢アトリエ訪問 Vol.1
「金沢21世紀美術館館長と訪ねるアーティストのアトリエ」
2010年11月21日(日)

詳細はこちらをご覧ください。
クリエイティブツーリズム2010

2010年9月7日火曜日


表現が丸まりすぎなので、荒削りな、完成度を求めないドローイングを繰り返し描いています。

洗練すればするほど見る側にとってはとっかかりがなくなり、どう捕らえていいのかわからなくなってしまう。
磨くほど良いとは限らないようです。難しいなぁ

2mぐらいある紙にガシガシと描いたり、小さな書道用の半紙に墨でスラスラ描いたり。

写真は半紙。雁皮の手漉きのものは、とてもきれいで惹きつけられます。
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2010年8月22日日曜日

今年はちゃんと朝顔のカーテンができました。たいして世話してなくてもすくすくと伸びる頼もしいやつです。

先日は森美術館の「ネイチャー・センス展」と東京国立博物館の「中国文明展」 へ。
「ネイチャー・センス展」は自然との距離(間)が気になりました。
「中国文明」の技術にはただただ驚きです。今のような工具もないのにどうやって作ったんだろう…

2010年7月19日月曜日

この夕焼けの5時間ほど後にものすごい雷雨がやってきて梅雨が終わりました。

今は朝夕ヒグラシが鳴いています。この家に引っ越してくるまでじっくり聞いたことなかったのですが、いい音ですねー。

前回書いたような両義性とかあいまいといった考えの参考にと日本文化に関する本を少し読んでいます。

その中の一冊、禅の本。たまらなく眠いのですが、なんだか私の制作する上での理想的な見地と合致するように感じます。

やってることは間違っていなさそうなのでちょっとだけ安心。

2010年7月4日日曜日


私の作品のもっとも大切な要素に両義性があります。
あいまいでどちらにもとれるということ。
浮いているのか接しているのか、中か外か、光か闇か、生か死か…
そのような二つの側面を不安定に行き来しながら心の奥底に沁みてゆく。
木の葉がひらひらと裏表を見せながら落ちてゆくように。

両義性を楽しむという感覚がない場合、曖昧でよくわからないものを味わうよろこびを積極的に認める意思がない場合、私の作品は成り立たない。

そういったことを最近考えています。


最近の日本の現代美術は『わかりやすいもの』を求める傾向にあるようです。
ぱっと見でコンセプトの分かるもの、既成のイメージのパロディであったり、リメイクであったり。

そのようなものを求める人たちに、どうしたらこちらの面白さを伝えれるか。
わかる人にだけ伝えれば良いと考える人もいますが、それも違うと思います。

余白の魅力を感じていただくために箔という道しるべを使ったように、なにかちょっとした工夫で振り向いてもらえると思うのですが…


写真は文とまったく関係なく岩絵具のざらざら。岩絵具の素材の魅力もほとんどの人が知りません。

2010年6月26日土曜日


久々に本の表紙に作品を使用していただきました。

藤田宜永著『老猿』 講談社刊
装幀:緒方修一
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