2010年7月4日日曜日


私の作品のもっとも大切な要素に両義性があります。
あいまいでどちらにもとれるということ。
浮いているのか接しているのか、中か外か、光か闇か、生か死か…
そのような二つの側面を不安定に行き来しながら心の奥底に沁みてゆく。
木の葉がひらひらと裏表を見せながら落ちてゆくように。

両義性を楽しむという感覚がない場合、曖昧でよくわからないものを味わうよろこびを積極的に認める意思がない場合、私の作品は成り立たない。

そういったことを最近考えています。


最近の日本の現代美術は『わかりやすいもの』を求める傾向にあるようです。
ぱっと見でコンセプトの分かるもの、既成のイメージのパロディであったり、リメイクであったり。

そのようなものを求める人たちに、どうしたらこちらの面白さを伝えれるか。
わかる人にだけ伝えれば良いと考える人もいますが、それも違うと思います。

余白の魅力を感じていただくために箔という道しるべを使ったように、なにかちょっとした工夫で振り向いてもらえると思うのですが…


写真は文とまったく関係なく岩絵具のざらざら。岩絵具の素材の魅力もほとんどの人が知りません。